cap00100
「チャッピー」のカットされたシーンについてです。

2回連続でカットネタでごめんなさい。
本国でのネット配信も始まり、カットシーンの確認が可能になったので、ちょっとですが書いておきます。

2015/06/01
なんだか反響が大きかったのと、ちょっと意図したところ違う解釈をされている感がありましたので、最初にエントリ説明を入れました。

このエントリについて

私は別に「チャッピー」の削除シーンの説明を周知したいのではなく、作品の編集という行為がどのような意味を持つのかを考えて欲しいのです。よく”監督の意図しない編集を勝手に行うのは許されない”という意見を見かけます。本エントリのコメント欄にも書かれています。毎回こういった、毒のある場面について修正が話題に上がると、いつも言われることです。でも、僕は編集しても良いと考えています。そりゃぁ、作品そのままの形で公開するのが一番なのですが、日本に限らず全世界において、映画が完全な形で公開されることは希です。どうしてもお国の事情ってもんがあります。これは避けて通れないことなのです。
しかし、その場合、多くの国では編集版であることをしっかり周知することが多いのです。イギリスの映倫BBFCに至っては何をどのようにカットしたのか?(場所、理由、時間)を公開しています。(これは80年代のVideo Nastyという悪しき発禁祭りを経過した結果でもあるのですが・・)ここが大事なところです。情報の公開によって、観客は「見る」「見ない」の選択ができるわけです。完全オリジナルが好きな人は見なければ良いし、見たい人はそれを承知で見ることができる・・という具合です。
しかし、日本は何故か”編集内容を周知する慣習が無いから絶対言わないし。聞いても教えてあげません”というスタンスなんです。これね、どう思います?せめて情報公開くらいしても良いんじゃ無いか?と思いませんか?レーティングを下げることにより上映スクリーンを増やし集客を増やすことを目的としているので、おそらく「集客に影響する」という考えがあるのでしょう。俺はこの姿勢が許せない。どうしても。そんなわけで、まぁ、ちょっとこの「チャッピー」の件を通して考えてみてください。
ついでにリメイク版「マニアック」日本劇場公開版R15規制について、および「ホーンズ 容疑者と告白の角」のカットされたシーンについても合わせて読んでみてくださいね。

あ、ウチは基本、ホラー映画を中心にグロっちい話をするブログなので、ヘタに見てまわるとエラい目に遭うので注意してください。

いつものやり口

ソニー・ピクチャーズは、毎度の事ながら作品への愛はこれっぽっちも無いのか、手段を選ばない方法でレーティングを下げることにご執心のようです。ドラゴン・タトゥーの女では意味なしデカモザイク。キャリーでは、母親の体にナイフが突き刺さる大事な場面をカットしました。今回はどうでしょうか?

「チャッピー」ではここをカットしています。

例によって、クライマックスの一瞬のシーンになりますので、ネタバレ上等です。
映画の終盤、チャッピーとはみ出しチンピラグループ、ヨランディ、ニンジャ、アメリカの3人がマフィアの襲撃に遭いドンパチを繰り広げることになる。そこへヴィンセントが操るED209を凶暴化させたようなロボット兵器、ムースがやってきて一方的な殺戮を開始します。このとき、手始めにアメリカが無残な方法で殺されるのですが、そのシーンがカットされています。

巨大ロボにおののき腰が抜けるアメリカ

Cap00104

Cap00105

下半身を踏みつけられ血反吐を吐く

Cap00108

そのまま、ブチブチとアメリカの上半身と下半身を引きちぎるムース

Cap00110

Cap00116

すっとぶアメリカの上半身

Cap00112

Cap00113

Cap00120

ブチギレるニンジャ

Cap00123

Cap00123

ブロムカンプ監督作品ではありがちな人体破壊描写。この部分、日本公開版では、引きちぎってぶん投げるシーンがばっさり切られ、一瞬だけアメリカの上半身が壁に打ち付けられるシーンがあるのみとなっています。
実は私自身、この作品はヨランディとニンジャのラップグループ「ダイ・アントワード」のプロモーション映画としか認識していないので、「ホーンズ」に比べるとストーリー上、必ず必要なシーンではないと感じています。ただ、アメリカの最大の見せ場であることは間違いない。その点については勿体ないとしか言いようがありません。
この件で腹立ったなら、同監督作品の「第9地区」を見直した方が楽しいと思います。あちらの方が筋がしっかりした作品であることは間違いないです。(だってチャッピーの中の人はシャールト・コブリーだし・・貧困とマイノリティというテーマも全く同じだし・・・)

今回のことについて文句

ソニピクは今回のカットについて「ニール・ブロムカンプ監督と協議の結果、やむを得ず編集しました」といったアナウンスを出しています。しかし、ファンがTwitterで、ブロムカンプ監督に「日本版では独自編集が行われていることは知っているのか?」を問いただしたところ、「知らんがな」と答えたという出来事がありました。そして、この件について感情的になった映画ファンがWikipediaに「ソニー・ピクチャーズが”監督の賛同を得た。”と言っておきながら監督には何も知らせず勝手に編集しているのではないか?という疑問がソニー・ピクチャーズに寄せられている」と記載しています。

これは配給会社がどのような契約を結んでいたかによるので、単純にソニピクが責められるところでありません。契約上、編集が認められている場合、このアナウンスは間違っていないことになります。(表現の問題はあれど、契約上、認められているならば契約時点で協議は済んでいることになる)
ただ、相変わらず”慣習”を前に打ち出し、「どのような編集をしたのか?は、一切答える気はありません。」としている部分については、ソニピクの客に他する誠意の無さは相変わらずだと言えます。

このWikipediaの記載については、作品もろくに鑑賞すること無く騒ぐだけ騒いで、中立性を損なう記事を書き、公開後も確認せず放置するあたり、日本のWikipedianは相変わらずゴミクズであるとしか言いようがありません。聞いても教えてくれないなら、自分で検証して発表するくらいのことはしろよ と思うわけです。

私が毎回言ってることですが「文句ばかりたれてないで、やれることをしっかりとやれよ」と。家でふんぞり返ってネットで愚痴っているだけでは何も変わんねぇんだよ。

さて、今年は「マッド・マックス」「グリーン・インフェルノ」「ザ・サクラメント」等々、危うい表現が詰め込まれた作品の日本公開が予定されています。まだまだ油断は出来ませんよ!

ブコメについて

一応、気になったブコメについてはコメント書いておきます。

「ああ、ここがカットされたんだな」と一目で分かるレベルの違和感はあったけど、例のISISの一件があっての判断らしいし、そういうタイミングも合って仕方ないのかなという印象。

PG12/R15とした場合、生きている人間の体を大きく損壊させる表現は、ここ10年(もっと前からかも)、映倫から指導が入るポイントとなっているようです。映倫の指導は時代によって変化するので、ISISの件が絡んでいないとは言い切れませんが、おそらく関係無いです。日本に限らず、MPAAやBBFCでもこういったバカらしい指摘は横行しています。たとえばMPAA判断では、銃がでるだけならPG12、銃で撃って出血する描写がある場合はR15となるといった具合です。(あ、一段階違ったかもしれません、すみません。)

あれだけPS4を万能コンピュータ扱いしてくれた監督に対してソニーは不義理だなあと思った。

スポンサーネタは毎度の事なので、作品と切り離して見ると楽しくなります。
ただこの辺り↓を見てしまうと普通の視点で映画を見づらくなりますが・・・。
10 Seriously Ridiculous Instances Of Movie Product Placement

人間がドローンの遠隔操作で人間性を失い、AIが人間性を遵守するという大事な場面では?

これは友人である侍さん指摘です。個人的に返答していたので、書き忘れてました。しれっと時事ネタ突っ込んできて、侍さんらしいッス。
で、確かにこのゴアシーンは、そう言う意味では効果的なんですが、この場面の一連の流れを見るとこの表現が無くても、指摘部分その意味は十分伝わると僕は考えています。この部分だけ取り出して、判断するのはちょっと気が早いかなと。もちろん、あったほうが良いのは間違いないし、本作を "日本公開版では見ない" とした侍さんの判断は理解しています。

「第9地区」のラストに似たようなシーンあったし、「第9地区」監督の、って宣伝してたらファンは覚悟出来てるし、ハサミを入れる入れないの基準がわからない

「第9地区」にはエビが寄ってたかって人間をバラす場面が確かにあります。でも注意してみると解るのですが、バラバラになった手足が飛んでいるだけで、バラバラにする直接的な場面は無いんですね。これが今回と違う部分です。また「覚悟」の件ですが、ほかのブコメで言われているとおり、一般客は「覚悟」なんて出来ていません。逆に「グロ描写なんて見たくない」と言う人もいます。しかし、「カットされてて良かった」では無く「グロがきつくてショックだった」と言って欲しいところ。重要な”体験”になるし、それが映画のあるべき姿だと思います。

人体切断シーンはカットされるのに、チャッピーが泣き叫びながら腕を鋸で切断される痛々しいシーンはカットなし。同じ知性のある存在なのに、検閲する側の人間とロボットの差別が現れてよかったと思ったゾ?

2年前に「マニアック」のボカシ問題に関わってからしきりに言うようにしていますが、検閲じゃなくて、指導です。実情そうなのかもしれませんけど・・・。
現状、「人でなきゃ大丈夫」とか「自然の摂理に従っているのであれば大丈夫」という判断基準があるようです。例えばベイのトランス・フォーマーは、ロボットがギタギタのボッコボコにされますが、OKですよね。今回のチャッピーへの心ない仕打ちでも言えますが、でも、アレ、人間に置き換えたら大変なことになります。でも。人じゃ無いのでOKなのです。また、「動物が人を食う場面はOK」だけど「人が人を食う場面はNG」とか奇妙な事態も発生しているのが現状です。

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事