『Lucky』:何故、互いを思いやれないのか?ミソジニー・マイクロアグレッション映画

糞難しい横文字をタイトルに据えてしまった。マイクロアグレッションとは「自覚が無い攻撃的な言動や行動」を指す。『Lucky』はトワイライト・ゾーンを彷彿とさせる不条理映画だが「マイクロアグレッション」に執着することで、奇っ怪でありながらも、非常に分かり易い作品に仕上がった。

ライターのメイは次作のアイディアに困っていた。女性の自立を訴えた新作ビジネス書「Go It Alone」(一人で成す)は、そこそこの人気作。だが出版社には「この手の作品は、もう今まで通りには売れないよ」と忠告されてしまったのだ。
厳しい言葉に肩を落としつつ家に戻り、夫テッドと共に寝ていると窓ガラスが割れる音が。

 「何事!?」

驚いたメイは、テッドを起こす。彼は寝ぼけた顔で言う。

 「ああ、いつのもの男だろ?」
 「え?何のこと?」
 「毎日、仮面をかぶった男が僕たちを殺しにやってくるんだよ。今日の武器は……」

一体、夫は何を言っているのだ?混乱するメイを尻目に、テッドはゴルフクラブを手に取り、リビングに向かう。その後を追うメイ。夫を見失い、台所を探るメイに男が襲いかかる。あわや!という瞬間にテッドが男の頭をゴルフクラブで強打。倒れる男。

 「台所はまだチェックしてなかったよ。気をつけてくれよ!」

やたら落ち着いている夫は、メイをつれて寝室に戻ろうとする。

 「ちょっとまって、男は?」
 「もういないよ!」

振り向くと倒れた男は消えていた。
ーー翌朝。メイはテッドと口論に。毎晩、仮面の男が殺しにがやってくることが常識になっている日常に納得がいかないのだ。平行線の言い合いに逆ギレする夫。

 「解らないなら、君が落ち着くまで、ここから出て行くよ」
 「何言ってるの?また男が来たらどうするの?」
 「バカなことを言うんじゃないよ。真っ昼間から来るわけないだろう?」

あっさりと出て行くテッド。一人残されたメイは、毎日現れる殺人鬼を殺し続けることになる。

毎夜どころか、日中もヒョッコリと現れて殺りにくる仮面男に四苦八苦。ホームセンターで色々な防具や凶器をそろえて、自衛に努めるメイを楽しく鑑賞できる。しかし、仮面男を殺しては死体が消え、警察を呼ぶ毎日に消耗していく彼女を観ていると、次第に気が滅入ってくる。「実はDVなんじゃないの?」と疑ってかかるカウンセラーや警官。本当に仮面男が毎晩襲ってきているのかすら怪しくなってくる。もしや、メイの幻想なのでは?などと考えていると、他の女性も毎晩、仮面の男に襲われていることが判明。話は突如ファンタジックな方面に。あらゆる女性が仮面男に襲われつづける崩壊した世界。女性同士で協力しようにも、誰もが自分のことで精一杯。

多くの女性は男性に日常的に傷つけられているということなのだろう。タイトルにも書いた通り。ミソジニスト……いや、もはや男女関係なく、他人との関係における互いに意図しない些細な攻撃的な言動。それが仮面男の正体なのだ。一貫してコメディ味で作られているため、テーマの割に説教くさくない。これが素晴らしい。非常に身近に感じられる。日常的なやりとりの齟齬で簡単に人は傷ついていく。

 「何故、お互いを思いやれないのか?」

言いたいことはそれだけなのだ。生きている限り、仕方のないことなのだけれど。

唯一の難点は分かり易く作りすぎていること。最後、仮面の下を見せてしまうのが実に惜しい。ネタバレになるので、記載しないでおくが、この表現はあまりにも陳腐。もう少し観客に考えさせる隙間があれば、より映画としての完成度が上がったはずだ。
脚本・主演を兼ねたブレア・グラントは、サスペンスやホラー映画の脚本を多く手がけ、『Aftermidnight』や『The Stylist』(これは名作!)など渋いインディ映画に数多く出演している。ジェレミー・ズッカーマンが手がけたミニマムクラシックなサントラも聴き所。毎晩同じことを延々と繰り返すメイの苦悩がよく表現されている。今、ソーシャルメディアで様々な問題に頭を抱えている人々に観てほしい、未公開ホラーだ。

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